神戸地方裁判所 昭和56年(行ウ)17号 判決 1984年2月17日
原告
小堀光子
右訴訟代理人
野田底吾
中村良三
羽柴修
永田徹
被告
地方公務員災害補償基金兵庫県支部長
右訴訟代理人
松岡清人
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対して昭和五四年一月二二日付けでした、原告の両眼ブドウ膜炎(昭和五一年九月二五日発症)を公務外の災害であるとする旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、兵庫県加古郡播磨町に勤務する地方公務員であり、播磨町公民館(以下「公民館」という。)に事務職員として勤務しているものである。
2 本件災害について
原告は、昭和五一年七月二二日午後六時一五分ころ、播磨町大中所在の「大中古代の村」で行われていた公民館主催の「公歓キャンプと野外歴史教室」を職務上見回りに行くため自転車で走行中、左眼に大きな虫が当たり(以下、「本件災害」という。)、その結果同眼に上強膜炎を発病した(以下、「本件負傷」という。)。その後、原告の左眼は一時的に快方に向かつたものの、同年八月ころから本件負傷が原因となつて両眼ブドウ膜炎を発症した(以下、「本件発症」という。)。
3 本件処分について
そこで、原告は、地方公務員災害補償法(以下、「法」という。)に基づいて被告に対し、昭和五三年五月二九日付けで原告の本件発症について公務災害認定の請求をしたところ、被告は、昭和五四年一月二二日付けで、本件災害は職務遂行中の災害であると認定しながら、本件発症は本件災害に起因するものとは認められない(相当因果関係がない)として、これを公務外の災害と認定する旨の処分(以下、「本件処分」という。)をした。
4 本件処分の違法性について
しかしながら、原告の本件発症は、上強膜炎からも通常発生が予想されるものであり、本件災害と本件発症との間には相当因果関係が認められるから、本件発症は、公務に起因することが明らかである。
従つて、本件処分は、事実の認定を誤つた違法なものである。
5 よつて、原告は、本件処分の取消しを求めるものである。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因第1項の事実は認める。
2 請求原因第2項のうち、原告がその主張する日時に「公歓キャンプと野外歴史教室」の会場へ向う途中、その左眼に虫が当たり、左眼上強膜炎を発病したこと及び昭和五一年九月二五日、ブドウ膜炎の診断を受け、該疾病に罹患したことは認め、その余の事実は否認する。
3 請求原因第3項の事実は認める。
4 請求原因第4項の主張は争う。
三 被告の主張
1 公務上の災害について
法所定の「公務上の災害」とは、地方公務員である者に生じた一切の災害又は疾病をいうものではなく、公務起因性のあるもの、すなわち、公務と相当因果関係にあるものをいうものと解すべきである。
なお、地方公務員の公務外の原因による疾病については、公務災害補償制度ではなく、共済制度により別途補償されるところとなつている。
2 本件事実関係について
(一) 原告の本件災害及び本件発症に至る経緯について
(1) 原告は、昭和五一年七月二二日午後六時一五分ころ、公民館から播磨町大中所在の「大中古代の村」へ自転車に乗つて赴く途中、左眼に虫が当たつた。
(2) その後、原告は、多木医院(眼科)で別表(一)記載のとおり診療を受けた。
(二) ブドウ膜炎と交感性眼炎について
(1) ブドウ膜炎について
一般に、ブドウ膜炎と称するときには、通常内因性のブドウ膜炎を指すものとされている。但し、広義のブドウ膜炎は、ブドウ膜(虹彩、毛様体及び脈絡膜の総称)の疾病一般を指し、これについては、種々の観点から病型分類が行われている。
ところで、フォクト・小柳・原田病は、前述した内因性ブドウ膜炎の一つであり、その臨床像は、眼底が夕焼け状となつたり、皮膚の色素が脱失したり、毛髪が脱落する等の病変を呈するものである。その発病は、然るべき動機もなく起こるものの、その原因については、最近、免疫学等の進歩発達によつて、メラノ細胞を攻撃目標とした自己免疫性疾患であるとの説が通説ないし有力説となつている。これに対し、ビールスをその原因とするビールス説も完全に捨て去られたわけではないが、いまだそのビールスの検出もないうえ、本病にはステロイド剤が良く効き、ビールス説ではその説明が困難であるところから、現在では少数説となつている。
(2) 交感性眼炎について
交感性眼炎の臨床像は、前述したフォクト・小柳・原田病のそれとほとんど同じであり、その発病のメカニズムについても、近時、同じくメラノ細胞を攻撃目標とした自己免疫性疾患であるとされている。
しかし、交感性眼炎は、そのほとんどすべてが、ブドウ膜に達する穿孔性眼外傷に続発して起こる点において、フォクト・小柳・原田病と異なる。すなわち、交感性眼炎は、穿孔外傷がブドウ膜に及び、しかも、穿孔創が虹彩、毛様体、水晶体のうの創口への嵌入あるいは異物の残存などで、素直に治癒していかないときに、眼圧も低下し、亜急性の炎症が残つている場合に発症するものである。
交感性眼炎を続発した外傷の種別としては、穿孔性外傷が六五パーセント、手術による穿孔が二五パーセントで、残り一〇パーセントが結膜下強膜破裂、角膜潰瘍穿孔又は脈絡膜肉腫等であり、穿孔がなくて発症するのは、脈絡膜黒色肉腫のみである。そして、交感性眼炎においては、外傷を受けた方の眼(起交感眼)から先に発症するものである。
(3) 続発性のブドウ膜炎について
この他、ブドウ膜炎に近接し、又は隣接する組織の病変(角膜炎、強膜炎等)から波及した二次性のブドウ膜炎、すなわち、続発性のブドウ膜炎も存在するが、この場合には、臨床像が前記フォクト・小柳・原田病又は交感性眼炎とは根本的に異なり、近接組織の炎症の消失とともに消失し、難治性のものもほとんどない。
(三) 原告の本件発症について
(1) 前述した原告の診察所見によれば、本件発症は、フォクト・小柳・原田病又は交感性眼炎と酷似しており、続発性のブドウ膜炎であるとは考えられない。
(2) 他方、原告の左眼には角膜又は強膜の穿孔はなく、多木医師の初診時においても上強膜に軽度の炎症を認めただけであり、同炎症も昭和五一年八月四日の同医師の診察時には消失し、治癒していること、本件発症は、本件負傷から約二か月後の同年九月二五日に発生していること及び本件発症が本件負傷を受けた左眼ではなく、右眼から発生していることに照らすならば、本件発症は交感性眼炎であるとは考えられない。
そして、原告を診察した訴外多木喬郎医師及び同奥沢巖医師(以下、「多木医師」及び「奥沢医師」という。)も本件発症をフォクト・小柳・原田病であると診断している。
(3) 従つて、原告の本件発症は、フォクト・小柳・原田病であると認められる。
3 本件処分の適法性について
(一) 本件負傷と本件発症との関係について
(1) 本件発症はフォクト・小柳・原田病であるところ、前述のとおり、同疾病は、メラノ細胞を攻撃目標とした自己免疫性疾患であつて外因性のものではない。また、虫が眼に当たつたことによつてこうした自己免疫性疾患が発生することもない。
(2) 更に、原告の左眼は、昭和五一年八月四日の時点で既に治癒しているうえ、本件発症は原告の右眼から始まつている。
(3) 従つて、本件負傷が本件発症の原因ではあり得ない。
(二) 以上のとおりであるから、本件災害と本件発症との間に因果関係を認めることができないとして、本件発症を公務外と認定した本件処分は適法であり、この点に関する原告の主張は理由がない。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張第1項の主張は争う。
2 被告の主張第2項について
(一) 同項(一)の(1)の事実は認める。
(二) 同項(二)及び(三)の各主張は争う。
3 被告の主張第3項について
(一) 同項(一)の主張は争う。同(2)の事実は否認する。同(3)の主張は争う。
(二) 同項(二)の主張は争う。
五 原告の反論
1 本件災害発生以降の原告の診療経過について
本件災害発生以降の原告の診療経過は、別表(二)記載のとおりである。
2 本件発症について
(一) ブドウ膜炎について
(1) ブドウ膜炎は、虹彩毛様体炎、脈絡膜炎、汎ブドウ膜炎を総称した概念であり、これを主として原因別に分類すれば、解明されている疾病だけでも数十種類にものぼり、いまだ原因不明のものが全体の三ないし四割を占める状況である。
(2) 眼に虫が当たつたことで強膜の穿孔が起こる可能性は確かに低いかも知れないが、何らかの経路を経てブドウ膜炎を発症させる可能性は否定できない。すなわち、
(ア) ブドウ膜炎自体、前述のとおり原因不明の例が多く、虫の保有しているビールスの感染によつても起こりうると考えられる。
(イ) 本件発症における原告の傷病名である両眼特発性ブドウ膜炎については、その原因が虫にある場合が多く見られる。
(ウ) 虫が当たつたことによつて穿孔が生じていないとしても、虫が原因で上強膜炎を起こし、更にそれが強膜炎、ブドウ膜炎へと拡大していくことも考えられる。
(エ) 原告のように虫が目に「バシッ」と当たり、目に強烈な衝撃を受けた場合には、ブドウ膜炎が発症する可能性がある。
(オ) 本件では、虫の体毛又は針が原告の角膜を穿孔したが、その後穿孔の痕跡が消滅した可能性も否定できない。
(3) 更に、原告は、本件発症後ブドウ膜炎の原因とみられる梅毒などあらゆる検査を受けたものの、これらの要因はすべて否定された。
(4) よつて、原告の本件発症と本件負傷との因果関係を否定することはできない。
(二) 本件負傷について
(1) 昭和五一年七月二八日に多木医師が原告を診察したときには、本件負傷はいまだ治癒しておらず、本件災害当日よりも悪化していた。
(2) 原告は、同年八月四日の多木医師の診察時以降も頭痛を訴えつづけ、左眼球の赤味も消えていなかつた。
(3) よつて、原告は、そのころから本件負傷に誘発された強膜炎に罹患していたものと考えられる。
(三) 二か月後の右眼の発症について
(1) 原告は、既に同年九月一〇日ころから両眼の充血及び飛蚊症状を訴えはじめ、多木医師も同月一七日にはこれを確認して両眼フリクテンとカルテに記入している。すなわち、原告が右眼から症状を自覚すると否とにかかわらず、客観的には両眼について症状が存在していた。
(2) また、前述のとおり、本件負傷又は強膜炎は治癒することなく継続していたのであるから、治癒二か月後に本件発症があつたと見ることはできない。
(3) 更に、仮に本件負傷が一たん治癒したとしても、それは、一時的にそうした治癒に類似した現象が現われただけのことであり、起交感眼が治癒していても、二か月後に被交感眼に発症する場合もありうる。
(4) よつて、二か月後に右眼から発症した事実が存在するとしても、そのゆえをもつて本件負傷と本件発症との因果関係を否定することはできない。
(四) 以上のとおりであるから、本件負傷と本件発症との因果関係は否定できない。
3 公務起因性について
(一) 労働者災害補償制度で問題となる因果関係とは、医学上の因果関係ではなく、公(業)務上災害という法概念を導き出す法的概念である。よつて、医学上の因果関係が否定されない以上、右制度の趣旨から考えて法的な因果関係を肯定することは可能である。
(二) ところで、労働者災害補償制度は、過失責任主義を前提とする一般民事上の損害賠償制度では、労働過程上絶えず危険にさらされる労働者の生命、身体の損害を十分に補填することができず、ひいては労働者の生活を不安に落とし入れる結果ともなることを考慮し、生存権思想を具体化したものとして無過失責任主義を採用した制度として創設されたものである。
よつて、法にいう公務上の災害についても、当該地方公務員が公務過程上で受傷又は発病したことさえ明らかであれば、医学上の因果関係が明白に否定される場合を除き、原則として、法所定の補償の対象とすべきである。すなわち、これを立証責任の関係でいえば、被告こそが公務と疾病との因果関係を否定する立証を尽くすべきであり、これが尽くされない以上は、前述した労働者災害補償制度の趣旨から考えて、公務過程上の災害であれば補償給付の対象とすべきものである。
(三) そこで、これを本件についてみるのに、本件では次の事情が認められる。すなわち、
(1) ブドウ膜炎は数十種に分類されるが、その三ないし四割は、その発生の原因又はメカニズムが不明である。
(2) 原告には虫が当たつたこと以外に本件発症の原因となるものが見当らない。
(3) 本件負傷は継続し、その間原告においては、業務遂行上、昭和五一年八月二二日開催のふるさと祭りに向けての準備及びその後の跡片付けのために残業など超過勤務が行われ、かなりの程度、目に負担をかけてきた。
(四) よつて、これらの事情を考慮すれば、本件において公務と災害との因果関係を否定することはできないから、公務起因性は肯定されるべきである。
4 以上のとおりであるから、本件処分は違法であり、取消しを免れない。
六 原告の反論に対する認否
1 原告の反論第2項について
(一) 同項(一)について
(1) 同(1)及び(2)の各主張は争う。
(2) 同(3)のうち、原告が梅毒等の検査を受けたこと及び右検査の結果がいずれも陰性であつたことは認め、その余の事実は否認する。
(3) 同(4)の主張は争う。
(二) 同項(二)の(1)及び(2)の各事実は否認し、同(3)の主張は争う。
(三) 同項(三)について
(1) 同(1)第一文の事実は認め、その余は争う。
(2) 同(2)ないし(4)はいずれも争う。
(四) 同項(四)の主張は争う。
2 原告の反論第3項のうち、同項(三)の事実は否認し、その余の主張は争う。
3 原告の反論第4項の主張は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因第1項(原告の地位)及び第3項(本件処分の存在)並びに原告が本件災害に遭つて本件負傷をしたこと及び本件発症をしたことの各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二本件処分の適否について
そこで、本件処分が適法であるかどうかについて検討する。
1 公務上の災害について
(一) 地方公務員法は、職員の公務上の災害(公務災害)については補償されなければならない旨規定し、右補償の迅速かつ公正な実施を確保するための公務災害補償制度を法律で定めることを明らかにしている(同法四五条)。そして、この地方公務員の公務災害補償制度を具体化する法律として法が制定されたが、同法は、地方公務員の公務災害に対する補償の迅速かつ公正な実施を確保するために、地方公務員災害補償基金という法人を設置し、地方公務員の公務上の災害につき同基金が当該地方公共団体に代わつて同法二五条所定の補償を行うという制度を採用している(同法一、三、二四条)。そして、こうした同法所定の災害補償制度は、国家公務員災害補償法、労働基準法(七五ないし七七、七九及び八〇条)及び労働者災害補償保険法などの労働者災害補償制度と同一の制度目的を有するものである。
よつて、法一条に規定する「公務上の災害」は、国家公務員災害補償法一条に規定する「公務上の災害」及び労働基準法七五条以下に規定する「業務上の災害」並びに労働者災害補償保険法一条、七条に規定する「業務災害」と同一の意義ないし要件を有するものと解される。
(二) そして、こうした現行の労働者災害補償制度の趣旨、目的、その他昭和四八年一一月一日人事院規則一六―〇及び労働基準法施行規則三五条の各規定内容などを考え合わせれば、法にいう公務上の災害とは、その災害が職員の公務の遂行中に発生したものであつて、かつ、その公務と災害との間に相当因果関係が存在すること、すなわち、災害の発生に公務遂行性と公務起因性とが認められることを要するものと解するのが相当である。
(三) ところで、本件においては、原告が公務遂行中に本件災害に遭つたことについては被告もこれを争つていないから、本件災害と本件発症との間の公務起因性の有無が争点となる。そこで、以下において、前述した公務起因性が認められるかどうかについて、検討することとする。
2 ブドウ膜炎について
<証拠>を総合すれば、以下の事実が認められる。
(一) 眼の構造について
(1) 視覚器である眼は、眼球、視神経及び眼球付属器によつて構成されている。このうち、眼球は、膜の部分と内容とに分けられる。そして、膜は、外膜、中膜及び内膜の三つの部分によつて構成されており、これらが重なり合つて水晶体、硝子体及び水様液から成る内容を保持している。
(2) 外膜は眼球の一番外側にある膜で、眼球の前面にあつて光線を透過する円形の角膜と眼球のその余の部分を覆つている強膜によつて構成されている。このうち、強膜は厚さ約0.5ないし1.0ミリメートルの普通のはさみでは容易に切れないほど強靱な白色不透明な膜であるが、厳密には、強膜が眼球の一番外側にあるのではなく、一番外側には球結膜という組織が存在し、更に、この球結膜と強膜との間に上強膜と呼ばれる組織が存在する。
(3) 中膜は外膜の内側にあり、虹彩、毛様体及び脈絡膜から成り、これらを合わせてブドウ膜という。このブドウ膜は血管と色素に富み、虹彩の中央にある瞳孔以外からの光線を遮断するとともに眼内に栄養を補給する役目を果たしている。
(4) 内膜は、眼球の最も内側にある網膜で、ここには視細胞が存在する。
(二) フォクト・小柳・原田病について
(1) フォクト・小柳・原田病は、その臨床所見の類似性から一括して一つの症候群として把握される両眼性のブドウ膜炎である。但し、これを更に前眼部(虹彩、毛様体)の炎症の程度によつて区別し、それが激しく予後の不良なものをフォクト・小柳病、そうでないものを原田病と呼ぶ場合もある。
(2) フォクト・小柳・原田病の臨床症状は、次のとおりである。
(ア) 眼底については、まず後極部付近にやや青味を帯びた灰黄色調の浮腫性混濁が現われ、次第にそれらが数個となり、更に、それが拡大して隣接のものと互いに融合すれば、眼底一面が凹凸不平となつて膨隆を増し、青味も加わつてくる。この膨隆部の上を走る血管は軽く怒張、起伏して見られ、視神経乳頭は次第に充血し、後にはその境界も不鮮明となる。
(イ) 網膜については、網膜下の漿液性滲出物の沈降貯留によつて生じた網膜剥離が眼底下方に出現し、これが高度な場合には、視神経乳頭付近まで迫り、甚しい場合には乳頭の全周に及んで剥離し、眼底が摺鉢の底のように見えることもある。
(ウ) こうした網膜剥離とともに視力の低下、視野の欠損及び眼圧の下降が生じるようになり、網膜剥離の最も高度となる発症後一か月前後で症状は極期となるが、その後は症状も自然に回復に向かうようになる。
(エ) こうして、発症後二ないし四か月で網膜が旧態に復するに従い、眼底色素の消耗が進み、その結果、眼底全体が明るく、あたかも夕映え時の空のようになる(夕焼状眼底、これが本症状の特徴とされている。)。
(オ) 視覚における自覚所見は、羞明、流涙、飛蚊症、変視症、暗点、中心暗点、霧視、調節障害及び近視等の視力障害である。
(カ) 他方、眼外症状としては、頭痛、発熱、倦怠感、食欲不振及び耳の症状(耳鳴、感音性難聴(特に高音性)、眩暈)などがあるが、特に外形上顕著なのは頭髪、睫毛、眉毛、鬢毛などの脱落又は白変並びに皮膚の白斑である。その他、脳脊髄液についてもリンパ球数の増加、蛋白反応陽性などの変化が認められる。
(3) 本症の原因については、今日なお十分判明していないが、ブドウ膜色素を抗原とし、全身のメラノ細胞系を侵す内因性の自己免疫性疾患であるとするアレルギー説及び未知の感染性病原体の存在を想定するビールス説とが一応考えられ、今日では前者が優勢となつている。
(三) 交感性眼炎について
(1) 交感性眼炎は、一眼に外傷を受けた場合において、右受傷後まもなくして(約四ないし八週間位が最も多い)、他眼及び受傷眼に特有のブドウ膜炎を発症させる疾患であり脈絡膜黒色肉腫を除いてほとんどすべての発症例では、何らかの意味においてブドウ膜に達する穿孔性眼外傷が存在する。
従つて、眼に外傷を受けても、角膜又は強膜を穿孔しない限り、本症が発症することはないというのがほぼ眼科学上の定説となつている。
(2)本症の臨床症状は、フォクト・小柳・原田病と同一である。
(3) 本症の原因についても、さまざまな説があるが、最近では、ブドウ膜損傷を伴なう穿孔性眼外傷を契機として、一定の遺伝的素質を持つ人に発生するメラノ細胞に対する自己免疫性疾患であると考えられている。
(4) 従つて、本症は、その原因及び臨床症状ともフォクト・小柳・原田病と同じであるとされているが、穿孔性眼外傷の有無によつて、フォクト・小柳・原田病と本症とが区別されている。
(四) 続発性ブドウ膜炎について
前述したブドウ膜炎とは別に、ブドウ膜に近接し、又は隣接する角膜又は強膜などの炎症がブドウ膜に波及して生ずる続発性ブドウ膜炎も存在する。しかし、この場合は、臨床像の特徴のない急性滲出性炎症であつて、前述したフォクト・小柳・原田病及び交感性眼炎のような特異な臨床症状を呈することはなく、その症状も前述した近接組織の炎症の消失とともに消失するものであり、難治性のものはほとんどない。
3 本件発症に至る経緯について
(一) 原告が昭和五一年七月二二日午後六時一五分ころ、播磨町大中所在の「大中古代の村」で行われていた公民館主催「公歓キャンプと野外歴史教室」を見回りに行くため自転車で走行中、左眼に虫が飛び込み、左眼上強膜炎を発病したことは、当事者間に争いがない。
(二) <証拠>を総合すれば、本件災害以後の原告の眼の症状が別表(二)記載のとおりであること及び原告には、昭和五一年一二月ころに眼底の色素の脱落があり、更に、昭和五二年二月ころから顕著な頭髪の脱落があつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(三) ところで、原告は、本件災害によつて生じた左眼上強膜炎は、その後昭和五一年九月ころに至つても治癒せず、その間、充血による左眼の赤味も消えることはなかつた旨主張し、原告本人尋問の結果中にはこれに沿う部分もある。
しかしながら、原告が同年八月四日に多木医院で診察を受けたのち、同年九月一七日まで同医院を訪れなかつたことは、前記認定(別表(二)記載の4及び5)のとおりであるうえ、<証拠>を総合すれば、同医師は、同年八月四日の診察の際に生体顕微鏡(一二倍)による観察と眼底検査を行つた結果、原告の左眼に変化を認めなかつたため、同眼上強膜炎は治癒しており、原告の訴えは遠視に基づくものであると判断したことが認められる。
よつて、右事実に照らすならば、前記原告の供述はにわかに信用することができず、他に原告の左眼上強膜炎が同年九月まで継続していたことを認めるに足りる証拠はない。
(四) また、多木証言によれば、上強膜炎から強膜炎を経ることなく続発性ブドウ膜炎を発症することは医学的にあり得ないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
4 公務起因性の有無について
そこで、以上の事実を前提として、本件災害と本件発症との間に公務起因性が認められるかどうかについて検討することとする。
(一) 原告の本件発症について
(1) 前記認定の原告の臨床症状に照らすならば、本件発症は原告の両眼のブドウ膜における汎ブドウ膜炎であるものの上強膜炎等から波及した二次性のブドウ膜炎である続発性のブドウ膜炎ではなく、フォクト・小柳・原田病又は交感性眼炎の症状にきわめて類似しているということができる。
(2) ところで、前述のとおり、これら二つの疾病は、その病状においても、また、その原因がメラノ細胞に対する自己免疫性疾患である点においても、差異はなく、ただそれがブドウ膜に達する眼の穿孔性眼外傷を契機として発生したもの(交感性眼炎)か、そうでない内因性の原因によつて発生したもの(フォク・ト・小柳・原田病)かによつて区別されるものである。
(3) そこで、本件において原告の左眼に穿孔性の眼外傷が存したのかどうかが問題となるところ、前記多木証言及び奥沢証言を総合すれば、次の事実が認められる。
(ア) 眼に穿孔が生じた場合には、単に外膜についてのみならず、虹彩、毛様体にも損傷が生ずるのが通常であるが、この場合には虹彩、毛様体炎(異物反応による)が発生するのが通常である。
(イ) こうした穿孔は、通常、肉眼でも観察することが可能である。
(ウ) 多木医師は、本件災害の四日後である昭和五一年七月二六日に原告の左眼を診察した際、肉眼観察のほか一二倍の生体顕微鏡を使用したが、左眼上強膜の炎症を認めたほかは、同眼の穿孔もしくは虹彩炎又は毛様体炎を認めなかつた。
以上の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。そして、本件全証拠によつても原告が本件災害以降に眼に穿孔性の眼外傷を受けたこと又は原告の眼が脈絡膜黒色肉腫に罹患していたことを認めるに足りる証拠はない。
(4) 以上述べたところによれば、原告の本件発症は、フォクト・小柳・原田病であると認めるのが相当である。
(二) 本件災害と本件発症との関係について
(1) 前述のとおり、原告の本件発症は、フォクト・小柳・原田病であると認められるところ、同疾病がどのようなメカニズムで発症するのかについては、現時点では必ずしも明らかではないものの、発症の原因は、メラノ細胞を攻撃目標とした自己免疫性疾患であるとする説が有力であるとされている。そして、原告が本件疾患に罹患したのが昭和五一年九月以降であると考えられること及び本件災害に基づく左眼上強膜炎は、同年八月四日には既に治癒していたと認められることに照らすならば、本件災害と本件発症との間に原因、結果という因果関係があるとは認められない。
(2) ところで、原告は、本件災害で虫が眼に当たつたこと以外に本件発症の原因となるものが見当らないことを理由に、本件災害と本件発症との間に公務起因性が肯定されるべきであると主張する。
しかしながら、本件証拠によつても、虫との衝突が原因となつてフォクト・小柳・原田病が発生するということを認めるに足りる証拠はない。なお、同病の発病の原因がいまだ十分に解明されておらず、原告の眼に衝突した虫も現存していない以上、ビールスその他の病原体が同病の発生原因でないこと及び本件発症が原告の眼に衝突した虫が保有していた病原体の感染によるものでないことの科学的(医学的)な立証は不可能であると考えられるが、前述のとおり、本件発症が本件災害の約二か月後に発生していること及び左眼強膜に炎症が認められなかつたことを考慮するならば、右感染による発症は想定することもできない。更に、上強膜炎から二次的にフォクト・小柳・原田病が発生する余地のないことも前述のとおりである。よつて、原告の右主張は採用できない。
(3) 次に、原告は、原告の左眼上強膜炎が継続し、その間には残業など超過勤務が行われ、かなりの程度眼に負担をかけざるを得ない状況下にあつたものであるから、本件災害と本件発症との間には、公務起因性が肯定されるべきである旨主張する。
しかしながら、原告の左眼上強膜炎が本件発症時まで継続していなかつたこと及び上強膜炎から二次的に本件発症が発生するものでないことは前述のとおりである。そして、<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(ア) 原告の勤務する公民館は、原告を含めて合計四名の職員がおり、うち一名の嘱託を除き、事務分担が決められているが、原告の事務分担は、文書の収受、発送及び保管、公民館の利用に関する受付及び記録等の事務、図書利用に関する事務、地域住民や各種団体との連絡、調整並びにその他の庶務である。但し、他の職員が担当している事務を副担当として処理することもある。
(イ) 原告の平常の勤務は、土、日曜日を除き、午前八時四五分から午後五時まで(火、水、金曜)と午前一〇時から午後六時三〇分まで(月、木曜)の二つの出勤帯があつた。そして、土、日曜日の出勤は、月に二回程度あつた。
(ウ) 原告の昭和五一年四月から同年九月までの超過勤務状況は、別表(三)記載のとおりであるが、同年七月及び八月は、播磨町のふるさと祭り及びその協賛行事の準備、跡片付け等で超過勤務のある日がやや多かつた。もつとも、これらの超過勤務の内のかなりの部分は、右ふるさと祭りに参加する関係諸団体との打合わせ、事前の準備事務又はふるさと祭りそれ自体への参加(八月二一、二二日の両日だけで二二時間の超過勤務となつていた。)などであり、特に眼を酷使するという職務内容ではなかつた。
以上の事実関係のもとでは、原告の本件発症当時の勤務状況のために本件発症が発生し、又はこれが増悪したとは認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠は存しないから、原告の右主張も採用することはできない。
(4) 以上のとおりであるから、原告の本件発症は、本件災害に起因するものとは認められない。
(三) なお、原告は、公務上の災害については、労働者保護の観点から、当該地方公務員が公務過程上で受傷したことさえ明らかであれば、明らかに医学上の因果関係が否定される場合を除き、原則として災害補償の支給対象とすべきである旨主張する。
しかしながら、前述したように、本件では、左眼上強膜炎からフォクト・小柳・原田病が発症するという医学上の因果関係がそもそも認められないのであるから、原告の右主張はその前提を欠くものとして、採用できない。
5 本件処分の適法性について
このように、原告の本件災害と本件発症との間には相当因果関係の存在を認めることができないから、本件発症を公務外と認定した本件処分は適法であり、これを違法とする原告の主張は、理由がない。
三 結論
よつて、原告の本訴請求は理由がないものとして、これを棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(村上博巳 笠井昇 田中敦)
別表(一)、(二)、(三)<省略>